Letter from Matsuzaki
余丁町散人(橋本尚幸)の松崎からのお便りです。
2013年8月21日水曜日
2012年9月15日土曜日
向井老の隠遁場所(跡)
むかし向井さんという人物がいた。氏は向井、名は七男也。名前からして七人兄弟の一番下と言うことだろうが詳しくは知らない。小さいとき住んでいた宝塚の一軒家は、なんでも大きなガラズ窓がある温室のような家で、夜になるとよく蝙蝠が飛んできて窓ガラスにぶつかったとか言う話を聞いたから、明らかにいわゆる阪神間のいいとこのボンボンであったようだ。高等学校は京都の名門公立高校。外国語大学に進み、その後某総合商社で貿易の営業をやっていた。多才多能。なんでもできた人だが、特に外洋ヨットをこよなく愛し、その人柄は多くのヨットマンを魅了した。日本ヨット界の創生期から油壺港の主的存在でもあった。若い頃に当時の花形職業であったスッチーを射止めて結婚したが、すぐに分かれ、そん後は生涯独身を通した。女性にこよなく愛された向井さんが独身を通したのは「油壺七不思議」の一つでもあった。
いつもニコニコしていたが、人を見る洞察力は驚異的で、他人に少しでもイイカッコウシイや偽善の臭いを嗅ぎ取ると、辛辣な(でも言われた相手はすぐには気がつかない遅効性の〕コメントをにこやかな表情を変化させることなく返すのが常であった。文化的に京都の影響を強く受けたのだろう。残念ながらサラリーマンには向いていなかった。案の定、中年に達する前に会社を退職し、その後いろいろ職業を替えたが、60代でヨットも止めて隠遁生活に入った。隠遁場所として選んだのが、西伊豆の松崎岩科地区であった。
松崎は風光明媚な土地で、海も山も文化もあり、隣人とも親しくなり、本人はここでも生活が大いに気に入っていたようだった。ただ東京からはとにかく遠く、なかなか友人たちも頻繁には訪問出来ずにいた。小生も当時は海外にいたので話に聞くばかりであったが、ある日突然、向井さんが松崎を引き払い老人養護ホームに入所したと聞き驚いた。イナカ特有の隣人たちとのトラブルが原因であったと聞く。向井さんは去年亡くなられ、油壺沖での散骨式には大勢の船が参加した。小生も船を相模湾まで回すつもりであったが事情があり直前に出来なくなった。せめて向井老が長く一人で住んでいたところを見ておきたく、住所を頼りに今回見学に行ってきた。現在は家も建て直され工芸家のアトリエとして使われている様子だが、付近の環境は当時のままだと思う。写真を撮っておいた:
裏には小川が流れ、樹木が生い茂り、付近には民宿が二三軒あるだけの寂しい土地。今は道路から家まで空き地になっているが、この土地の通行権を巡りトラブルがあったとのこと。よそ者がイナカで揉めると勝ち目はまず無い。向井老も苦労したようだ。
向井老は東京では高田馬場の点字図書館横に住んでいた。駅から近く便利な生活環境だった。今の世は「地方の時代」とやらで、玉村豊男などがやたらに田舎生活は素晴らしいと書き散らしているが、いろいろ考えさえられる話である。でも、東京にいても同じことだったかも知れない。日本という巨大なムラ社会は、向井老のような人間には、とにかく住みにくいからである。
いつもニコニコしていたが、人を見る洞察力は驚異的で、他人に少しでもイイカッコウシイや偽善の臭いを嗅ぎ取ると、辛辣な(でも言われた相手はすぐには気がつかない遅効性の〕コメントをにこやかな表情を変化させることなく返すのが常であった。文化的に京都の影響を強く受けたのだろう。残念ながらサラリーマンには向いていなかった。案の定、中年に達する前に会社を退職し、その後いろいろ職業を替えたが、60代でヨットも止めて隠遁生活に入った。隠遁場所として選んだのが、西伊豆の松崎岩科地区であった。
松崎は風光明媚な土地で、海も山も文化もあり、隣人とも親しくなり、本人はここでも生活が大いに気に入っていたようだった。ただ東京からはとにかく遠く、なかなか友人たちも頻繁には訪問出来ずにいた。小生も当時は海外にいたので話に聞くばかりであったが、ある日突然、向井さんが松崎を引き払い老人養護ホームに入所したと聞き驚いた。イナカ特有の隣人たちとのトラブルが原因であったと聞く。向井さんは去年亡くなられ、油壺沖での散骨式には大勢の船が参加した。小生も船を相模湾まで回すつもりであったが事情があり直前に出来なくなった。せめて向井老が長く一人で住んでいたところを見ておきたく、住所を頼りに今回見学に行ってきた。現在は家も建て直され工芸家のアトリエとして使われている様子だが、付近の環境は当時のままだと思う。写真を撮っておいた:
裏には小川が流れ、樹木が生い茂り、付近には民宿が二三軒あるだけの寂しい土地。今は道路から家まで空き地になっているが、この土地の通行権を巡りトラブルがあったとのこと。よそ者がイナカで揉めると勝ち目はまず無い。向井老も苦労したようだ。
向井老は東京では高田馬場の点字図書館横に住んでいた。駅から近く便利な生活環境だった。今の世は「地方の時代」とやらで、玉村豊男などがやたらに田舎生活は素晴らしいと書き散らしているが、いろいろ考えさえられる話である。でも、東京にいても同じことだったかも知れない。日本という巨大なムラ社会は、向井老のような人間には、とにかく住みにくいからである。
2012年6月17日日曜日
2012年5月4日金曜日
2012年5月3日木曜日
2012年5月2日水曜日
2012年5月1日火曜日
ヨットレースの転落男性?死亡…奄美沖 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
ヨットレースの転落男性?死亡…奄美沖 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 1日午前0時半頃、鹿児島県・奄美大島の北東約130キロの太平洋で、沖縄県宜野湾市から愛知県蒲郡市に向かう「沖縄―東海ヨットレース」の参加艇から、「航行中に1人が海に転落した」と第11管区海上保安本部(那覇市)に通報があった。
鹿児島海上保安部によると、転落したのは「AOBA」(長さ12・67メートル、12人乗り組み)の乗組員高橋正実さん(52)(東京都八王子市)。午前10時頃、海上自衛隊のヘリが高橋さんとみられる漂流している男性を発見。鹿児島市内の病院に搬送したが死亡が確認された。
2012年4月30日月曜日
2012年4月29日日曜日
てみ(手箕)とブルーシートを買う
草刈り屑を捨てるためにコメリでテミとブルーシートを買う。ゴミはちりとりで集めてゴミ袋に入れるというのはトカイモンのやること。イナカではそんな手間の掛かることはしない。一間(1.8メートル)四方のブルーシートを地面に敷き、そこに剪定屑を掃き込むのである。細かい残り物を拾い集めるにはテミを使う。屑が山となって集まるとブルーシートの四隅を一つに巾着結びにしてサンタクロースのように肩に掛けて引っ張って行くのだ。
ところでテミだが、何やらハイカラな名前だが本来どういう字なのかご存じなりしや。「手箕」と書く。以下ご参考まで:
ところでテミだが、何やらハイカラな名前だが本来どういう字なのかご存じなりしや。「手箕」と書く。以下ご参考まで:
箕 - Wikipedia: 箕(み、みの)とは、農作業で使う手作業用道具。手箕(てみ)ともいう。箕(み、みの)とは、農作業で使う手作業用道具。手箕(てみ)ともいう。箕は、収穫物の採り入れや、運搬、穀物の選別など様々な用途で古くから用いられてきた道具である。 農作業に応じて、適当な大きさ・形状のものを選択することになる。 選別には適量の材料を入れた箕をあおるようにして内容を放り上げ再び箕で受けることを繰り返すことにより、自然の風や箕自体が起こす風によって軽い夾雑物を 除外し、重い穀物だけを箕に残すように使う。かつて日本の農村では箕による選別は農家の主婦の重要な仕事であった。 素材としては加工性に富む竹や木の皮(経木)がよく利用されてきたが、近年では石油を原料とするプラスチック製の箕が一般的である。金属製のものもある。プラスチック製の箕は軽量かつ丈夫であり、安価であるという理由から、現在ではこれが多く普及している。今日に至っては、箕が塵取りの代わりとして利用されていることもある。この場合、箕はプラスチック製・金属製であることが望まれる。
2012年4月28日土曜日
「草を刈る人」になる!
玉村豊男はイナカ生活に憧れる都会人がやってくると草刈り機を渡して草を刈らせるそうだ。タダで使える「作男(作女)」と悦にいられているが、おいらの主義に反するし、第一そんな人はやってこないので、自分で草を刈る。
エンジンが掛からない。何遍もヒモを引っ張るうちにキャブがガソリンで濡れてしまう。点火プラグを抜いて乾かす。たまに混合燃料の草刈り機を使うとこうだから困る。メンテが簡単なプロパンカセットで動く草刈り機にすればよかった。
ようやく起動。ガソリンがなくなるまで頑張ったがまだ終わらない。剪定屑も捨てに行かねばならないし、嗚呼、たいへん。きょうのお仕事:
エンジンが掛からない。何遍もヒモを引っ張るうちにキャブがガソリンで濡れてしまう。点火プラグを抜いて乾かす。たまに混合燃料の草刈り機を使うとこうだから困る。メンテが簡単なプロパンカセットで動く草刈り機にすればよかった。
ようやく起動。ガソリンがなくなるまで頑張ったがまだ終わらない。剪定屑も捨てに行かねばならないし、嗚呼、たいへん。きょうのお仕事:
日本の大陸棚が拡張される
こんな動きがあったのだ。凄い面積。竹島とか尖閣なんかとは桁が違うじゃない。よかったよかった。
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日本の大陸棚拡張、国連が認定 沖ノ鳥島周辺など http://t.co/ocU2EUHh
http://twitter.com/#!/nikkeionline/status/195973228785713153
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2012年4月27日金曜日
新東名を通って伊豆半島に
今まで東名沼津ICから伊豆縦貫道に入っていたが、新東名が御殿場から開通している。さっそく走ってみた。
御殿場で新東名に乗り換え長泉沼津ICで伊豆縦貫道に入る。長泉・沼津間がダブルで節約出来たことで、だいぶ短くなった感じ。新しい道路はやっぱり快適。
伊豆半島に入ると雨も止んで晴れてきた。実に美しい自然のままの海岸線。これはもう国際水準をはるかに越える。
西伊豆は観光開発が進んでいないので、寂しいぐらい静か。おかげで落ち着く。日本列島至るところで観光客呼び込みのための「村おこし」が盛んだが、その結果日本中がガサガサした感じになってしまった。西伊豆海岸の自然状態での保全は意図したものかどうかは知らないけれど、長期的にはこれが成功に繋がるのじゃないか。こういう海岸線はもう日本には残っていない。
御殿場で新東名に乗り換え長泉沼津ICで伊豆縦貫道に入る。長泉・沼津間がダブルで節約出来たことで、だいぶ短くなった感じ。新しい道路はやっぱり快適。
伊豆半島に入ると雨も止んで晴れてきた。実に美しい自然のままの海岸線。これはもう国際水準をはるかに越える。
西伊豆は観光開発が進んでいないので、寂しいぐらい静か。おかげで落ち着く。日本列島至るところで観光客呼び込みのための「村おこし」が盛んだが、その結果日本中がガサガサした感じになってしまった。西伊豆海岸の自然状態での保全は意図したものかどうかは知らないけれど、長期的にはこれが成功に繋がるのじゃないか。こういう海岸線はもう日本には残っていない。
2012年4月25日水曜日
2012年1月17日火曜日
山奥のコーヒー豆屋「間菜舎」
Google: マニア向けの一風変わったコーヒー豆を売っている。松崎町の喫茶店「侘助」でも使用されている豆。山の中にあるので、行くには軽4駆が必要。おいらマニアじゃないから普通のコーヒーメーカーで淹れたけど、おいしかった。みんな通販で買うらしい。
間菜舎 - Google マップ
〒410-3614 静岡県賀茂郡松崎町岩科南側594−5
0558-43-0667
2012年1月14日土曜日
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